こころ(夏目漱石)-問題用紙

問,傍線部「実際的の効果」とはどういうことか。35文字以内で答えよ。

親友である"私"と"K"(※ともに大学生)は、二人して下宿先の"お嬢さん"を好きになってしまった。お互いの恋心について知らないまま過ごす中、ある日、”K”が”私”にお嬢さんへの(苦しい)恋心を告白してきた。 Kの生返事は翌日になっても、その翌日になっても、彼の態度によく現れていました。彼は自分から進んで例の問題に触れようとする気色を決して見せませんでした。もっとも機会もなかったのです。奥さんとお嬢さんがそろって一日うちを空けでもしなければ、二人はゆっくり落ち着いて、そういうことを話し合うわけにもいかないのですから。私はそれをよく心得ていました。心得ていながら、変にいらいらしだすのです。その結果初めは向こうからくるのを待つつもりで、暗に用意をしていた私が、折があったらこっちで口を切ろうと決心するようになったのです。 同時に私は黙ってうちのものの様子を観察してみました。しかし奥さんの態度にもお嬢さんの素振りにも、別に平生と変わった点はありませんでした。Kの自白以前と自白以後とで、彼らの挙動にこれという差違が生じないならば、彼の自白は単に私だけに限られた自白で、肝心の本人にも、またその監督者たる奥さんにも、まだ通じていないのは確かでした。そう考えた時私は少し安心しました。それで無理に機会をこしらえて、わざとらしく話を持ち出すよりは、自然の与えてくれるものを取り逃がさないようにするほうがよかろうと思って、例の問題にはしばらく手を着けずにそっとしておくことにしました。 こう言ってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮の満ち干と同じように、いろいろの高低があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心が果たしてそこに現れているとおりなのだろうかと疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字を指しうるものだろうかと考えました。要するに私は同じことをこうもとり、ああもと ようやくここに落ち着いたものと思ってください。更に難しく言えば、落ち着くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかもしれません。 そのうち学校がまた始まりました。私たちは時間の同じ日には連れだってうちを出ます。都合がよければ帰る時にもやはりいっしょに帰りました。外部から見た私とKは、なんにも前と違ったところがないように親しくなったのです。けれども腹の中では、てんでんにてんでんのことを勝手に考えていたにちがいありません。ある日私は突然往来でKに肉薄しました。私が第一にきいたのは、この間の自白が私だけに限られているか、または奥さんやお嬢さんにも通じているかの点にあったのです。私のこれからとるべき態度は、この問いに対する彼の答えしだいで決めなければならないと、私は思ったのです。すると彼はほかの人にはまだ誰にも打ち明けていないと明言しました。私は事情が自分の推察どおりだったので、内心うれしがりました。私はKの私より横着なのをよく知っていました。彼の度胸にもかなわないという自覚があったのです。けれども一方ではまた妙に彼を信じていました。学資のことで養家を三年も欺いていた彼ですけれども、彼の信用は私に対して少しも損なわれていなかったのです。私はそれがためにかえって彼を信じだしたくらいです。だからいくら疑い深い私でも、明白な彼の答えを腹の中で否定する気は起こりようがなかったのです。 私はまた彼に向かって、彼の恋をどう取り扱うつもりかと尋ねました。それが単なる自白にすぎないのか、またはその自白についで、実際的の効果を収める気なのかと問うたのです。しかるに彼はそこになると、なんにも答えません。黙って下を向いて歩きだします。私は彼に隠しだてをしてくれるな、全て思ったとおりを話してくれと頼みました。彼は何も私に隠す必要はないとはっきり断言しました。しかし私の知ろうとする点には、一言の返事も与えないのです。私も往来だからわざわざ立ち止まってそこまで突き止めるわけにいきません。ついそれなりにしてしまいました。
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